フィリピンを学ぶ-マクタン島の英雄ラプラプ-【フィリピン留学】
セブのマクタン島では、
16世紀のスペイン支配に立ち向かった英雄ラプラプ
が今でも人々に愛されています。
現在のフィリピンはキリスト教国ですが、かつてはイスラム教でした。
16世紀のスペイン支配によって改宗したためです。
フィリピンには、心が熱くなるような様々な歴史があります。
そこで今回は、スペイン統治に立ち向かった英雄ラプラプについてご紹介します。
CONTENTS
大航海時代におけるマクタン島
ヨーロッパ大航海時代に名を轟かせたマゼランは、
人類史上初の世界一周
を成し遂げたことで知られています。
しかし、マゼランは途中で命を落とし、復路には着くことはありませんでした。
そのマゼラン最期の地が、フィリピンのマクタン島だったのです。
スペイン統治のきっかけは布教活動
16世紀にマゼラン一行は辿り着いたフィリピンで、
植民地支配をすすめるために武力でキリスト教改宗を迫りました。
その背景にあったのは、ヨーロッパ新興キリスト教のプロテスタントとの対立による新たな信者の獲得です。
世界中に布教することでキリスト教(カトリック)の力を確固たるものにしようとしたのです。
このような背景の下、
武力で改宗を迫られたセブの長たちはキリスト教の洗礼を受け、次々とイスラム教を離れていきました。
その時、マクタン島のラプラプはマゼランに抵抗を示したのです。
マゼランの最期の地
マゼラン一行は、執拗な威嚇射撃を繰り返し、ラプラプに対して改宗を迫りました。
しかし、民族の誇りと信条を守り抜く強い気持ちでラプラプは軍を組織し、マゼランに立ち向かいます。
威嚇射撃にひるまないラプラプに対して、マゼランは総攻撃に切り替え、本格的な戦闘状態に突入します。
しかし、マゼランはその戦闘で命を落とすことになるのです。
勝利の要因
ラプラプは、
・土地勘があること、
・地理的な個性に順応していること、
・圧倒的な数の違い
により、マゼランから勝利を勝ち取りました。
マゼラン一行は50名ほどに対して、
ラプラプは1500名を組織していたとも言われています。
自らの民族の誇りを守り抜くために、ラプラプはマクタン島の人々とともに立ち上がったのです。
民族の誇りと独立の大切さ
このように、セブのマクタン島は世界史の1つの運命の舞台になっています。
フィリピンの美しい海と素晴らしい自然が育む民族の誇りは、その後
350年のスペイン、
日本、
アメリカ
の統治に翻弄されながらも、独立の時を待ち大切に守られて来たのです。
ラプラプの名は特にセブで大切にされています。
セブでは地名だけでなく、高級魚にラプラプの名を冠してその活躍を過去から未来に伝え続けているのです。
また、マクタン島北部にはラプラプの立像があります。
そこには当時、命を落としたマゼランの記念碑もあり、歴史の1つのシーンを今に語り継いでいるのです。
まとめ
どんなに力を尽くしても、人々から奪えない大切なものがあることを、私たちはこの歴史から学ぶことができるのではないでしょうか。
悲しい歴史の中で命を落とした多くの人たちと、そして、奪おうとして敗れたマゼランの無念の死は、進化するグローバル社会の平和の形を考えるきっかけになるのです。
このようにフィリピン留学は、語学を学ぶだけでなく、アジアが歩んできた歴史を学びながら、新たな時代を生き抜くために必要な目を養う場としても最適な環境なのです。