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フィリピンを学ぶ 歴史都市ビガンと旧日本軍の関わり 奇跡的に残った古都【フィリピン留学・観光・大人の教養】

 

 

歴史都市ビガンは、石畳と西洋風ミックスの建築が残る美しい街並みが人気の世界遺産です。

 

1999年に世界文化遺産に街並みと多くの建物が登録されました。

 

そのビガンは、第二次世界大戦で占領した旧日本軍と深いかかわりのあるエリアです。

 

旧日本軍の残酷さは世界でも語り継がれるもので、フィリピンではバターン死の行進が有名です。

 

無理な戦争を続けたために戦況の悪化は避けられず、撤退を余儀なくされた旧日本軍は、

 

撤退前にフィリピンの多くの都市を徹底的に破壊したのです。

 

そのような状況の中、ビガンは奇跡的に無傷で現在まで残っています。

 

そこにはある日本人将校とビガンにまつわる美しい歴史があるのです。

 

そこで今回は、フィリピンの世界遺産 歴史都市ビガンが現在までその美しさを残した奇跡についてご紹介します。

 

 

CONTENTS

 

 

ビガンはアジア最大の西洋風都市

 

ビガンは、フィリピンのルソン島にある首都マニラから北に400kmのところにある美しい古都です。

 

16世紀からのスペイン統治により、悲しい歴史とともに美しい街並みが今に残っているのです。

 

かつては交易の要所として利用されていました。

 

当時の権力者たちの邸宅がそのまま残るビガンでは、

 

・博物館

・ホテル

・レストラン

・カフェ

 

などの形で現在も当時のままの建物が、多くの人たちから愛されています。

 

 

ビガンと第二次世界大戦

 

フィリピンは第二次世界大戦の悲惨な戦場となったことでも有名です。

 

特に、フィリピンは多くの日本兵も命を落とし沖合には日本の船が沈んだスポットが無数に存在します。

 

その戦場となったフィリピンで、街並みが残ることは奇跡でした。

 

 

“それではなぜ、ビガンはほぼ無傷で現在まで残ったのか?”

 

それは、ある日本人の大尉の家族の存在と、ドイツ人の司教の想いにあると言われています。

 

タカハシという名の大尉は、戦争でフィリピンに来て、フィリピンの女性と結婚し家庭を持っていました。

 

無理な戦争を続けたために旧日本軍の敗戦は決定的なものとなり、

 

戦況の悪化により、旧日本軍が撤退することになります。

 

撤退する時に街を破壊するように、大尉の許に命令が下されました。

 

これはビガンだけでなく、フィリピンの多くの都市も同じように下された命令です。

 

そして実際にフィリピンは徹底的に破壊されてしまうことになるのです。

 

その中で、ビガンが残ったのは、タカハシ大尉の妻子の存在が関係しています。

 

大尉は撤退のため、妻子をドイツ人司教に託しました、

 

そこで、司教からある交渉がなさたのです。

 

それが、妻子を守る代わりに、ビガンの街を破壊せず、残すこと

 

国境を超えた1つの家族の存在が、美しい都市ビガンだけでなく、多くの地元の市民を戦火から守ることになったと言われています。

 

 

映画にもなったビガン

 

このように美しい古都には、かつてのスペイン統治の悲しい歴史だけでなく、

 

旧日本軍との間にも様々な歴史があるのです。

 

上からの命令を無視し、美しい街を守ったタカハシ大尉と、もう一人の軍人として名前が上がるナリオカ将校がいます。

 

二人はフィリピンに妻子があり、ビガンを現在に残した歴史に残る人物です。

 

それらのエピソードを語るフィリピンのインディーズ映画があります。

 

「Iliwイリウ」という作品で、日本人の俳優も出演しています。

 

このように、フィリピンでは奇跡的に残ったビガンの街いつまでも語り継いでいるのです。

 

 

まとめ

 

フィリピンを学ぶでは、過去にもフィリピンの抱える様々な問題を取り上げてきました。

 

今回は、第二次世界大戦にまつわる美しい話となりました。

 

本来、破壊行為や人の命を奪う戦争はあってはならないことです。

 

その中で、破壊されずに残った古都ビガンが、いかに貴重なことを現在に伝えているか、

 

また、他の都市と同じように破壊されていたら、わたしたちはビガンの街の素晴らしさを知ることができなかったのです。

 

平和の大切さについて考えながら、美しい古都 歴史都市ビガンをその目で見てきてください。